老いるという事
知り合いのおばあさんが介護付有料老人ホームに入る事が決まりました。離れて暮らす息子さんと話し合って決めたようで、おうちは任意売却されるそうです。
おとなしいおばあさんで確かに最近足が不自由になってきたとおっしゃっていましたから、何かあったときのことを思って息子さんが決意されたんだと思います。
そのおばあさんは娘の事をすごくかわいがってくださったので、さみしいです。
私たちの両親はまだ老人という感じではないので、彼女が感じたおばあさんはあの方が初めてではなかったかと思います。
最初抱かれたときに骨にすぐ当たる感じがいつもと違うと分かるのか泣いていましたが、会うたびに抱いていただいているうちに慣れてきて笑うようにもなってきました。彼女にはまだ別れというのは分からないのでしょう。
今日はいないからいこうねーというと、不思議そうな顔をしてとことこと歩いてくる姿を見ていると切なくなってきました。
私も確実日々老いています。
それまでにどれだけ人を大事にできたかがその人の財産になるのだといろいろな人を見ていてそう思います。
どこどこのえらいさんだったとか、なんとかの賞をもっているとかそんなことは関係なくなってきて、ただの一人の年老いたおなじ人間。
どれだけ自分の中に暖かいものを持っていられるかがその人をあらわします。
あばあさんは落ち着いたら手紙を書いてくれるといっていたので、さいきん色鉛筆を使ってむちゃくちゃな絵をかけるようになった彼女の作品と写真を入れて手紙を書こうと思います。
だんだんと物事がわかるようになってきている彼女がこれは別れでもう二度と会えないのだと理解するまでにどのくらいの時間があるのだろう。
悲しみや挫折が人を大きくすると分かっていても、なるべくならその悲しみを与えたくないと思うのは親のエゴなんでしょう。